夏休みの宿題と一緒にエンディングノートを書いてみる
こんにちは。エンディングノートナビゲーター®、エンディングノート専門家の赤川なおみです。
毎日本当に暑いです。
温暖な瀬戸内地方…いえいえ、朝夕の凪の時間、無風になる時間は、本当に辛いです。
夏の風物詩、花火大会があちらこちらで開催され、甲子園出場校も決まったというニュースとともに「夏休みの宿題」が、子育て中のお母さんたちを憂鬱にさせているのでは?
いや、今なら憂鬱になっているのはおじいちゃん、おばあちゃんもだったりして??
夏休みに入ると、昼食時には、おじいちゃんおばあちゃんとファミレスやファーストフード店で食事をする風景をよくみかけます。
昔なら、祖父母の家に行くと、普段あまり食べないようなモノが食卓に並んだり、ちょっと不便な生活を楽しんだり…という感じでしたが、今はファミレスにハンバーガーですもんね。
おじいちゃん、おばあちゃんの生活も変わっているのでしょう。
とはいえ、いつになっても「夏休みの宿題」「自由研究」は変わる事なく、夏休みの大きな課題です。
7月中は「早めに済ませて、今年こそ遊ぶぞ!」と意気込むものの、8月に入ると少し焦り始め、お盆頃には「どうすんのよ〜〜〜!!!」と、お母さんの悲鳴にもにた声が、あちこちで飛び交う・・・
私も、気持ちはあるものの、後になるタイプ。
そして、早〜〜く仕上げて「今年は上出来!」と思っていたら、8月31日にそれが見つからず、夜中まで親と大げんかしながら探すタイプ。
あぁ、今考えても、くっきりと映像まで浮かんできます。
これは、先日片付けた際に出てきた、私が小学生の時のもの。
懐かしいでしょう?
そうそう、自由研究は、我が家は父の担当でした。
父は店舗設計士でしたし、その前は木工職人もしていたので、手先が器用。モノ作りはお手の物でした。
私が小学生の頃(年数を考えると恐ろしくなる)は、今のように「自由研究用キット」などなかったので、作品は今で言うところの「手作り感満載」のモノが並んでいました。
が。。。我が家の自由研究は違いました。
私が小学生の頃、それはプロ野球のカープが強くなり、初優勝で盛り上がっている頃です。我が家も、シーズン中には、何度も球場に足を運ぶほど熱狂的なファンでした。
そこで、ある年の夏休みに父が提案したのは「球場の模型」でした。
野球盤なるものも流行した世代。あんな感じの物を作れば?と、言い出したのでした。
そこからは、私がやると言っても、父主導。そうですよね、父の頭の中に全てのイメージがあったわけですからね。
そして、結構大きな作品に出来上がったその球場の模型は、夏休み明けの教室で、目立ったことは言うまでもありません。
こんな、夏休みの想い出は、数えたらキリがありませんね。
エンディングノートを書く時に「子どもの頃のことなんて、あまり覚えていない」と言われるのですが、夏休みのことはどうでしょうか?
どこかに行った事、花火のこと、溺れそうになったこと、宿題で大変だったこと・・・
きっと色々と出てくるはずです。
ということは、今がエンディングノートを書くチャンスです!
お子さんやお孫さんが、夏休みの宿題を頑張っているのですから、一緒にエンディングノートを書いてみましょう!
想い出の詰まった夏休みを、エンディングノートを書きながらひも解く。
沢山書く必要はありません。
まずはスタートしてみましょう!
片岡愛之助さんのご両親に学ぶ終活 悔いのない人生とは
こんにちは。エンディングノートナビゲーター®、終活講師の赤川なおみです。
片岡愛之助さんと言えば、超売れっ子の歌舞伎役者さんですね。まぁ、今は歌舞伎役者はもとより、売れっ子タレントというか…本当にご活躍です。
一躍有名になったのは、「倍返しだ!」がヒットした、ドラマ半沢直樹のオネエ風の国税局の人でした。
が、それよりも前に、歌舞伎で市川海老蔵さんがけがで開演4日前に降板することになり、急遽代役を受けて見事に舞台を務めたことでも、歌舞伎界での地位を不動のものにしました。
そんな愛之助さん、私は「あぁよく出てるなぁ」くらいの認識で、特に興味を持つということはありませんでした。
ですが、テレビ番組「波瀾万丈」で特集されたことをきっかけに、「あぁ、この方のご両親から終活を学び、愛之助さんの生き方はまさしく”悔いなく生きる”なのだな」と、とても興味を持ったのです。
愛之助さんは、歌舞伎界で活躍する人気役者さんですが、もともと歌舞伎界の人ではなかったのですね。
番組で知りましたが、一般家庭に生まれ、歌舞伎に興味を持ち、19歳の時に歌舞伎役者としての素質を見込まれ、二台目片岡秀太郎さんの養子となり、六代目片岡愛之助を襲名。
この養子縁組の際に、長男である愛之助さんを、ご両親は「思うように生きなさい」と背中を押されたわけです。
同じ子を持つ親として、いくら才能を発揮できるとはいえ、実の子を養子に出すのは、相当辛いことだと思います。
しかも、お父さんは自営業で工場を経営されていたそうで、本来なら長男として、あとを継ぐことも考えておられたでしょう。
それでも、我が子に「悔いのない人生を生きる」ということを、率先して伝えたご両親。きっと、ご両親もそのように生きておられたことでしょう。
しかし、我が子の生き方を支えたお母様は愛之助さんが20代の時に他界。お父様は、お母様が亡くなった後に「人間骨壺に入ったら終わりだ。だから悔いのないように生きろ」と、墓前で愛之助さんに伝えられたとか。
そのお父様も、後を追うように他界されたそうですが、ご両親亡き後「親孝行は今するべきだ」「悔いのない人生を生きる」と、ことあるごとに、周りの方にも伝えておられるようですね。
終活がブームだと言われ、エンディングノートは書いておいた方が良いと、あちらこちらで言われるようになりました。
でも、ブームだからとか、みんながやるからとかではなく、ず〜っと昔から、考えている人は考えているし、実行している人は自然体で実行している。
終活は特別ではないのです。
「いつから始める」というものではないのです。
今を精一杯、悔いのない人生を送ること。
これこそが、終活です。
葬儀は何のためにするのか 改めて考えた日
葬儀やお通夜への参列は、どのくらいのお付き合いがれば参列しますか?
友人、知人、恩人、会社の同僚、会社の上司。
友人や恩人の親・兄弟、会社の同僚の親・兄弟・・・
みなさんは、いかがでしょうか?
先日突然の訃報で、友人のお父さんが亡くなったことを知りました。
友人とは同級生で、同じ一人っ子。
学生時代から、仲良くしていた友人のお父さんは、私の恩師でもありました。
卒業し、結婚をしてからも、最初の子は同じ日に出産するという偶然もあって、着かず離れずという感じでした。
しかし、最近ではお互いに忙しく、連絡も途切れていましたが、共通の友人などから、お父さんの介護をしていると聞いていました。
お通夜に駆けつけると「私が最後に食べさせたご飯が、喉につまって・・」と、友人は泣きました。
最近は、認知症も進んでおられたようで、ご飯も介助が必要だったのでしょう。
友人の言葉に、「お父さん、本当に幸せだったと思うよ」と、一緒に泣きました。
私も同じ一人っ子。もちろん、子どもが何人いても、子への愛情は変わりませんが、一人っ子への親の愛は、また別のものがあると、私自身も思っています。
友人のお父さんも、最愛の娘に介護され、食べさせてもらったご飯が原因だったとしても、それは本望だと思います。
突然の最期を迎えた恩師の葬儀は、教え子や関係者の歌う歌声に包まれ、恩師の生前の様子やエピソードが語られ、緩やかな時間が流れていくものでした。
ただ、形式だけの葬儀ではなく、参列者みんなが恩師の在りし日を思い出し、涙しながら最期の時を一緒に過ごす。
華美でもなく、特別なことでもありませんでしたが、花に囲まれたお通夜と葬儀は、しっかりとお別れをすることができました。
葬儀をするしない
葬儀の価格競争
面倒なことはしたくない
誰にも知らせたくない
最近は、葬儀に関しても色々な考え方があり、どんどん簡単な方へ流れているように思います。
確かに葬儀については、亡くなって精神的にも大変な時に、会館との相談や様々な対応、親せきへの気遣い等々、考えればうんざりする…ということも、あるかもしれません。
しかし、そのようなことは一部でしかなく、一番大切な事は「その人の在りし日を偲び、しっかりとお別れをする」ということではないのかと。
「お金をかけたくないから、祭壇はいらない」のではなく、 お別れをするのに、何が必要なのかを考える。
「面倒だから、家族葬ですませる」のではなく、お世話になった方、本人もお別れをしたい人はいないのか?伝えたい人はいないのかを考える。
「知らせたくない」ではなく、自分が知らせてもらえなかった時に、どんな気持ちがするのか考える。
友人のお父さんのお通夜、葬儀を通して、葬儀は何のために?誰のためにするのか?を、改めて考えた2日間でした。
終活に関する様々な情報は