戦後70年 戦没者等の遺族に対する特別弔慰金 をご存知ですか?
こんにちは。エンディングノート専門家の赤川なおみです。
先日母から「広報を見ていたら、親が戦死している人は、何か国から補助があるみたいなんだけど…」と、連絡がありました。
母は、早くに両親を亡くしており、戦死したと言われる父親は、顔も覚えていないと言っていました。
母は一人っ子でしたので、両親亡き後は、父親の兄弟の家で育ちましたが、両親についての情報は、ほとんどありません。
そんな中、母がこの記事を見つけたようなので、早速市役所で訪ねてみました。
正式には
というらしく、私の近所の市役所では、特別相談コーナーが儲けられていました。
そこでもらったパンフレットには「第十回」と書かれています。
窓口で「これまでにも、あったということですか?」と聞くと、だいたい十年ごとにありますが、初めてですか?」とのこと。
もちろん、母は初めてこの情報を目にし、今回も、私が調べなければ「もう難しそうだから、やめておこうか」と言っていました。
この特別弔慰金は、一定の条件のもとに申請すると、1年間5万円を5年間、総額25万円が記名国債として支給されるとのこと。
そして、この特別弔慰金については、所定の期間内に自発的に申請しないと、受けられないらしく、これまで知らなかった十回分は、支給されないのだそうです。
にしては、わかりにくい発信のしかただなぁと思うのです。
母も、十年に1回の今年、たまたま載っていた広報を見ただけです。これも見逃していたら、知らないままでした。
うーーーん、お上のすることって・・・
そして、もう一つのネックは
どこで聞いたら、正しい情報が得られるのかわからない
ということ。
母の場合は、両親の生前の情報がほとんどなく、知っている兄弟も亡くなっていたり、認知症となっており、聞く事ができません。
なので、色々と調べる必要があるとのことで、まずは私が調べに出かけたわけですが・・・
1回目→地元の市役所に出向いて相談。母の住んでいる市の市役所で相談してくださいとのこと。
2回目→母の住んでいる市の市役所に出向く。住んでいる区の区役所ですとのこと。ただ、そこである程度の説明を受けてみると、かなり色々な条件があり、さかのぼる必要があることが判明。
私世代でさえ、くじけそうな説明と、面倒な手続きに「もういいかな」と思いかけましたが、母のことを思えば、なんとかしたいもの。
そして、何より、私も知らない母方の祖父母についてを知る、良い機会です。
私の母の両親に関する情報は、本当に乏しく、母から聞くのは「お母さんは病気で、お父さんは戦争で亡くなった」とうことだけ。
お母さん、要するに私の祖母ですが、祖母が亡くなって埋葬されている場所がわかったのは、私が高校生の時だったように記憶しています。
どこに埋葬されているかも知らないまま、大人になった母が、初めて父とお墓参りをしたことを覚えています。
お墓参りと言っても、しっかりとした墓ではなかったらしく、この辺に埋葬された(土葬のため、何も残っていなかった)ということだけ。
なので、その後お墓参りに行く事はありません。
これまで、私も母も「わからないこと」として過ごしてきた、母方のルーツ。
母の両親はいつ生まれ、いつ亡くなったのか。
その先には、どのような歴史があったのか。
今回は、特別弔慰金の申請ということがきっかけですが、母のためにも、私のためにも、そして私の子ども達のためにも、先祖を辿ってみる事にしようと思います。
母も私も一人っ子です。
母がわからなくなれば、私もわからない。
私がわからなければ、私の子どもも知り得ない。
そして、その歴史は永遠にわからない。
とはいえ、、、役所の窓口に行く度に、心が折れそうになりますが、根気よく戸籍等を取り寄せてみようと思います。
これも、母が元気な今しかできませんからね。
戸籍を見ながら、母が元気な時に、色々と話しをしておこうと思います。
話しをしながら、母のエンディングノートをまとめていきたいなと思っています。
エンディングノートを書いて欲しい人シリーズ〜又吉さんの場合〜
こんにちは。
お笑い芸人初の芥川賞受賞作家 又吉さんの場合
出典:産経ニュース
又吉さんは無類の読書家、もしもの時にはこれらの蔵書は…
又吉さんの印税他、誰が受け取る?
もしもの時、著作権はどうなる?
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エンディングノートはまだ早い と思う理由
こんにちは。エンディングノート専門家、エンディングノートナビゲーター®の赤川なおみです。
エンディングノートの書き方講座に参加してくださる方から「まだ早いような気がするのですが…」と言われる事がよくあります。
この「まだ早い」というのは、なぜそう思うのでしょうか?
この「まだ早い」と思うのは、きっと
エンディングノート=自分の亡き後に必要になるモノ
というイメージからでしょうね。
そうすると、無意識のうちにも、「自分の人生の終わり」を考えます。
そこで「考えたくない」という気持ちに、なる人もいるでしょう。
また「まだまだ人生終らない」「自分の人生を想像できない」と思う人には、エンディングノートは「まだ早い」と感じるのでしょう。
確かに、どんなに「今をよりよく生きるため」とお伝えしても、エンディングノートというネーミングから「終わりに向かって」というイメージは、ぬぐい去れないかもしれません。
「夢の実現のために活用する」とお伝えしても、終わりのイメージからは、生産性を感じないかもしれません。
この感覚やイメージは、誰かが「こうですよ」と言って「はい、そうですね」と、すんなり切り替えられるものではありません。
しかし、何か夢や目標を達成する時には、ある程度の期限を決めたり、完成型をイメージし、そこに向かって進みます。
それでも、ある人は「夢や目標を達成するのに、期限などいらない。できるまでやるのみだ!」と言うかもしれません。
しかし、私が思うのは、そうであったとしても、期限がないと思ったとしても、その人が生きている間という、期限付きに代わりはないのではないか?と思うのです。
「生きている間」 という期限。
だから、自分の人生をしっかり見て、夢や目標の実現のために、今何をするのか考える。
そのためには、計画を立てることも必要ですし、その一つとして「書き出すこと」も必要でしょう。
いや、自分の代だけでは終らない。永遠に続くものなんだ!
と、言われる方もいらっしゃるでしょう。
それなら、なおさら「自分は何を伝え、次の人は何を守り、何を進めて行けば良いのか?」を伝える必要があります。
伝えるためには、書いて残す事という手段が確実ですから、やはり「書き出す」「書いた事を伝える」ということになります。
こう考えると、エンディングノートを書く事も、終活も「まだ早い」などということはなく、自分に夢や目標があるなら、今すぐにでも始めてはどうでしょうか?
とはいえ、「では今からやろう!」というスイッチは、人が入れるものではなく、自分で入れるものですからね。
「まだ早い」を「今だ」と思えるには、しっかりと自分自身で考える必要があると思います。
それでも、考えるきっかけや、スイッチを押すきっかけが欲しい!という方は、ぜひこちらをご利用くださいね。