延命治療をするのは、まわりの家族です
こんにちは。
エンディングノートの書き方・終活講師、エンディングノートナビゲーター®の赤川なおみです。
人って誰のために生きているのでしょうか。
昨年入院した時に同室になった方で、100歳のおばあちゃんがおられました。
まだ声も出るし意識もある、胃瘻も人口呼吸器もついていないようでしたが、さすがに体をご自身で動かすことも、ご自身でご飯を食べることもできない状態。
別の病院から運ばれたのですが、熱もあるとかであまり元気はないようでした。
飲み込みの状態もあまりよくないようで、少量の薬を飲むのも、食事(すでにペースト状のもののようでした)をするのも、すごく時間がかかるようで…
付き添いの息子さん曰く「コンデンスミルクにまぜたら食べます」とのこと。
え?コンデンスミルクっておいしいけど、ご飯もおかずもそれにまぜちゃうの?と、少し耳を疑いました。
その息子さんやお嫁さん(といっても、おばあちゃんが100歳ですからね、若くても70過ぎてますよね)は、食事を食べてほしいし、なんとか病院で治療してほしいらしくて。
とにかく「食べてもらわなくちゃ」「なんとか生きていてもらわなくちゃ」という声が看護師さんとのやり取りで聞こえてきます。
しかも、病院を転院してまで新たな治療を求めておられるようで、またどちらかの病院に移るとか…
私にはどうしてもそのやり取りがしっくりきませんでした。
100歳まで立派に生きてこられて、様々な困難も大変な時代も生きてこられたのですよね。
そして今、旅立つ準備をされている中で、どうしてそんなに
「どうしても食べてほしい」
「生きていてほしい」
と旅立ちを妨げるようなことをするのか?
いくら食べるからと言って、何にでもコンデンスミルクをまぜた状態のご飯を口にする。
おばあちゃんは、美味しくて食べているんだろうか?
本当に食べたいのだろうか?
人はいつまでも生きているわけではありません。
親が先に旅立つこと、それは順番じゃないですか。
しかも100歳なんて、本当に大往生です。
いつお迎えがきても
「本当にご苦労様でした。ありがとう」
そう言って送り出しても、誰もとがめないのではないですか?
「良くしてもらったんです。大好きなんです」
「なんとか生きていてほしいんです」
というお嫁さんの言葉。
優しいけれど「誰のための人生なの?」ととても疑問を感じるのでした。
そのおばあちゃんが「まだまだ生きたい」
なのか「もういいよ」なのかわかりません。
ただ、ご本人の意思に反して、周りが頑張っているように見えてならなかったのです。
こんな時、やはり「エンディングノートに自分らしい最期の迎え方を書く必要があるよなぁ」と思います。
自分のために、そして大切な人のために、自分の気持を書いてみませんか?
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