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遺言書より超簡単!エンディングノートの書き方

年間1,000人以上の方にエンディングノートの書き方を伝えているエンディングノートの書き方・終活講師、エンディングノートナビゲーターが解説します


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あさイチで特集したダブルケア 一人で抱え込まないで

こんにちは。エンディングノート専門家・終活講師の赤川なおみです。

 

結構朝ドラにハマる私。そして、朝ドラ続きのあさイチも、結構好きなので時間がある時は見ていますが、今朝の話題は「ダブルケア」でしたね。

さて、ダブルケアったなんだ?

初めて聞く方も多いかもしれません。

実は、私もあまり考えていませんでしたが、義父の介護中はダブルケアでした。その頃は、そこまで考えなかったなぁ…。

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少子高齢化で、一人の子どもが支える高齢者の人数が増え、そこは問題になっています。

しかし、晩婚化、出産の高齢化も進んでいる中で、育児中に介護も始まるケースはどんどん増えていますよね。

子育て+介護、これが一緒にくるのがダブルケアです。

ダブルケアが始まる女性の平均年齢は”41歳”とのデータが出ていました。確かに・・・私もそのくらいでした。

育児も介護も、周りの人と話しをしたり、少しリフレッシュできたり、一人きりにならなけでば、少しだけ楽になれることもあります。

あさイチの中では、横浜のサポート例が紹介されていましたね。

cf.yokohama.localgood.jp

これから少しずつ、サポートも広がると思いますが、まだまだ時間がかかります。

今まさに直面している!

辛いよ!

そんな時には、お気軽にご相談くださいね。

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戦後70年 戦没者等の遺族に対する特別弔慰金その後

こんにちは。エンディングノート専門家の赤川なおみです。

戦没者の遺族に対して、一定の条件のもとに申請すると、1年間5万円を5年間、総額25万円が記名国債として支給される「特別弔慰金」の件。

先日、母が広報で見つけてたことから、この特別弔慰金を調べることになりました。

 

saigomoegao6668.hatenablog.com

過去記事にもあるのですが・・・

この特別弔慰金を受け取るには、色々と証明が必要だったりすると窓口で言われました。

どこで戦死したとか、本当に軍人だったか?なども証明しないといけないそうですね。

そこで、証明するためには”戸籍”を取り寄せるしかなく、色々やっています。

 

1回目→地元の市役所に出向いて相談。母の住んでいる市の市役所で相談してくださいとのこと。

 

2回目→母の住んでいる市の市役所に出向く。住んでいる区の区役所ですとのこと。ただ、そこである程度の説明を受けてみると、かなり色々な条件があり、さかのぼる必要があることが判明。

 

ということで、この際自分のルーツを探るとともに、さかのぼってみるか〜!ということで、私の出生時&両親の以前の本籍がある愛媛県へ。

本来なら、他県にある戸籍は郵送でも取り寄せられるのですが、私の母の情報が曖昧で、これまでに遡ったこともなかったので、色々と知るために、実際に出向きました。

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 まずは西条市で、私の出生からの戸籍を…

ここで、私の両親の情報も出てくるわけです。

本来は、母のことだけ調べれば良いのですが、今回は父の代で終ってしまう実家のこと、私のルーツなどを探ろうと思い、ここから色々調べることに。

 

とは言え、何をどう調べるのか?戸籍の何を取れば良いのか?がわからない。

窓口では「何に使われますか?」と聞かれるので、「自分の出生、両親の出生を遡りたいのですが…」と伝えると「何に使いますか?」と聞かれる。

「え〜〜、知りたというのと、一人っ子なので相続の時に、その一人っ子の証明もいるのではと思うので」と、伝えます。

「では、ご両親の出生からのものを調べてきます」ということで、取り出してくださいました。

 

が、ここからですよね。

母の出生は、別の市だったので、そちらで戸籍を取る必要がありました。

その出生の戸籍を取得しなければ、母の父親の情報がわかりません。その父親の情報がなければ、今回の「特別弔慰金」の申請ができないので、同県内ではありますが、車を走らせ2つ先の市へ・・・

 

ナビを頼りになんとか市役所にたどり着き、窓口で説明をして母の出生からの戸籍を出していただきます。

そして…ありました!母の父親の情報。

そこに「◎◎で戦死」の文字もありました。これで、母は「特別弔慰金の申請」ができそうです。

 

これで終わりでも良いのですが、母は両親を小さい時に亡くしており、自分のルーツをあまり知りません。

なので、今回は丁度良い!と思い、母の父親の出生からも戸籍を取得し、どんな家族構成だったのか、母の祖父母はどこの人か?なども調べてみることに。

その場で、母の父親系統はすんなり取得できました。

が、母の母親系統は高知県が本籍ということで・・・そこは断念しました。

 

ここまで結構時間がかかり、お昼になったのですが、父の母親系統がこれまた別の市だったので、午後からはそちらに移動することに。

 

結局全てを取り終えたのは、夕方5時前。

朝の9時過ぎから初めて、3カ所の市役所で計15通の戸籍謄本を取得し、かかった金額は約1万円!!

これ、私の両親と両親の親の情報、2世代遡るだけで、こんなに大変なのですよね。

 

これは、元気な時にしておかなければです!

そして、行政書士さんなどの専門家にお願いする方が、すんなり行くのではないのか・・と思います。

 

ご自身で気になる場合は、日本終活サポート協会にお問合せください。

www.facebook.com

 

 

 

 

爆心地から1,2キロで被爆した小学校での想い出

こんにちは。エンディングノートナビゲーター®、終活講師の赤川なおみです。

 

本日は広島に原爆が投下された日です。

戦後70年、70回目の8月6日8時15分は、あの日と同じように暑くて蝉の鳴き声のする時でした。

私は、愛媛県に生まれましたが、小学校は広島の爆心地から1,2キロに位置する小学校に通い、卒業しました。

その頃の想い出は、今でも鮮明です。

小学校の被爆プラタナス

 

 

私の両親は、愛媛県で生まれ育ちましたので、被爆していません。

しかし、通っていた小学校は、爆心地から近かったので、同級生にも沢山の”被爆二世”がいました。

今でこそ、あの日の記憶を後世にも語り継ぐ、ということで、色々な方が語られるようになりました。

しかし、私が小学生だった約40年前は、今とは全く違いました。

 

戦後30年が過ぎ、被爆後何十年も草木が生えないと言われた広島市内は、見事に復活していましたが、それでも被爆した人たちの心は閉ざされたままでした。

夏休みの宿題や、平和学習で「被爆体験を聞く」ということがあっても、身近な友だちのお父さん、お母さんや、おじいちゃん、おばあちゃんは、決して話そうとはしませんでした。

それは、理不尽な差別や、後遺症に悩む人が多かったから。

自分が被爆していることはもちろん、我が子が”被爆二世である”などということが知れれば、結婚できなかったり、差別を受けたりするからでした。

 

私は、戦争の記憶があまりない両親の元に育ちました。

私の祖父母は、私が生まれる前に亡くなっており、唯一の祖母も同居していませんでしたので、戦争体験を聞く事はありませんでした。

母の父親は戦死していますが、母が3歳の頃ですから、何も覚えていないのです。
それで、今回の特別弔慰金の件も、色々大変なのですが・・・

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そんな私の記憶には、とても仲の良かった友人のお母さんが、いつもはとても明るいのに、その話しの時には、とても怖い顔をして「誰にも言うたらいけんのよ」と言っていたことが、今も残っています。

 

それでも、戦後70年となり、被爆者の方の平均年齢も80,3歳となり、歴史を忘れないための取り組みは、毎年広がっています。

被爆した方たちも、辛い記憶を語る方が増えているようです。

友人のお母さんたちも、友人たちに語っているでしょうか・・・

 

辛い記憶をエンディングノートを書くということは、とても辛いかもしれません。

もし、どうしても記憶を書き出す事が辛い時は、無理をする必要はありません。

書きたくなる時まで、その部分は空けておいてください。

 

そんなことしたら、そこだけ空いてしまって、書かないままかもしれないじゃない!と言われるかもしれません。

それでも、強要することではありません。

 

エンディングノートの想い出の項目は、自分が書きたい事、伝えたい事を書いてほしのです。

あなたの残したい記憶はなんでしょうか?

後世に伝えたい記憶はなんでしょうか?

 

まずはエンディングノートを書き始め、書きながら考えてみませんか?

 

www.endingnotefk.net

 

 

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