遺言書より超簡単!エンディングノートの書き方

年間1,000人以上の方にエンディングノートの書き方を伝えているエンディングノートの書き方・終活講師、エンディングノートナビゲーターが解説します


■今日から始める終活&エンディングノート■
終活の最新情報から、今日からかけるエンディングノートの始め方まで!
講師のご依頼 全国対応お気軽にご相談ください!

戦後70年 戦没者等の遺族に対する特別弔慰金その後

こんにちは。エンディングノート専門家の赤川なおみです。

戦没者の遺族に対して、一定の条件のもとに申請すると、1年間5万円を5年間、総額25万円が記名国債として支給される「特別弔慰金」の件。

先日、母が広報で見つけてたことから、この特別弔慰金を調べることになりました。

 

saigomoegao6668.hatenablog.com

過去記事にもあるのですが・・・

この特別弔慰金を受け取るには、色々と証明が必要だったりすると窓口で言われました。

どこで戦死したとか、本当に軍人だったか?なども証明しないといけないそうですね。

そこで、証明するためには”戸籍”を取り寄せるしかなく、色々やっています。

 

1回目→地元の市役所に出向いて相談。母の住んでいる市の市役所で相談してくださいとのこと。

 

2回目→母の住んでいる市の市役所に出向く。住んでいる区の区役所ですとのこと。ただ、そこである程度の説明を受けてみると、かなり色々な条件があり、さかのぼる必要があることが判明。

 

ということで、この際自分のルーツを探るとともに、さかのぼってみるか〜!ということで、私の出生時&両親の以前の本籍がある愛媛県へ。

本来なら、他県にある戸籍は郵送でも取り寄せられるのですが、私の母の情報が曖昧で、これまでに遡ったこともなかったので、色々と知るために、実際に出向きました。

f:id:otonowa6668:20150805102703j:plain

 まずは西条市で、私の出生からの戸籍を…

ここで、私の両親の情報も出てくるわけです。

本来は、母のことだけ調べれば良いのですが、今回は父の代で終ってしまう実家のこと、私のルーツなどを探ろうと思い、ここから色々調べることに。

 

とは言え、何をどう調べるのか?戸籍の何を取れば良いのか?がわからない。

窓口では「何に使われますか?」と聞かれるので、「自分の出生、両親の出生を遡りたいのですが…」と伝えると「何に使いますか?」と聞かれる。

「え〜〜、知りたというのと、一人っ子なので相続の時に、その一人っ子の証明もいるのではと思うので」と、伝えます。

「では、ご両親の出生からのものを調べてきます」ということで、取り出してくださいました。

 

が、ここからですよね。

母の出生は、別の市だったので、そちらで戸籍を取る必要がありました。

その出生の戸籍を取得しなければ、母の父親の情報がわかりません。その父親の情報がなければ、今回の「特別弔慰金」の申請ができないので、同県内ではありますが、車を走らせ2つ先の市へ・・・

 

ナビを頼りになんとか市役所にたどり着き、窓口で説明をして母の出生からの戸籍を出していただきます。

そして…ありました!母の父親の情報。

そこに「◎◎で戦死」の文字もありました。これで、母は「特別弔慰金の申請」ができそうです。

 

これで終わりでも良いのですが、母は両親を小さい時に亡くしており、自分のルーツをあまり知りません。

なので、今回は丁度良い!と思い、母の父親の出生からも戸籍を取得し、どんな家族構成だったのか、母の祖父母はどこの人か?なども調べてみることに。

その場で、母の父親系統はすんなり取得できました。

が、母の母親系統は高知県が本籍ということで・・・そこは断念しました。

 

ここまで結構時間がかかり、お昼になったのですが、父の母親系統がこれまた別の市だったので、午後からはそちらに移動することに。

 

結局全てを取り終えたのは、夕方5時前。

朝の9時過ぎから初めて、3カ所の市役所で計15通の戸籍謄本を取得し、かかった金額は約1万円!!

これ、私の両親と両親の親の情報、2世代遡るだけで、こんなに大変なのですよね。

 

これは、元気な時にしておかなければです!

そして、行政書士さんなどの専門家にお願いする方が、すんなり行くのではないのか・・と思います。

 

ご自身で気になる場合は、日本終活サポート協会にお問合せください。

www.facebook.com

 

 

 

 

爆心地から1,2キロで被爆した小学校での想い出

こんにちは。エンディングノートナビゲーター®、終活講師の赤川なおみです。

 

本日は広島に原爆が投下された日です。

戦後70年、70回目の8月6日8時15分は、あの日と同じように暑くて蝉の鳴き声のする時でした。

私は、愛媛県に生まれましたが、小学校は広島の爆心地から1,2キロに位置する小学校に通い、卒業しました。

その頃の想い出は、今でも鮮明です。

小学校の被爆プラタナス

 

 

私の両親は、愛媛県で生まれ育ちましたので、被爆していません。

しかし、通っていた小学校は、爆心地から近かったので、同級生にも沢山の”被爆二世”がいました。

今でこそ、あの日の記憶を後世にも語り継ぐ、ということで、色々な方が語られるようになりました。

しかし、私が小学生だった約40年前は、今とは全く違いました。

 

戦後30年が過ぎ、被爆後何十年も草木が生えないと言われた広島市内は、見事に復活していましたが、それでも被爆した人たちの心は閉ざされたままでした。

夏休みの宿題や、平和学習で「被爆体験を聞く」ということがあっても、身近な友だちのお父さん、お母さんや、おじいちゃん、おばあちゃんは、決して話そうとはしませんでした。

それは、理不尽な差別や、後遺症に悩む人が多かったから。

自分が被爆していることはもちろん、我が子が”被爆二世である”などということが知れれば、結婚できなかったり、差別を受けたりするからでした。

 

私は、戦争の記憶があまりない両親の元に育ちました。

私の祖父母は、私が生まれる前に亡くなっており、唯一の祖母も同居していませんでしたので、戦争体験を聞く事はありませんでした。

母の父親は戦死していますが、母が3歳の頃ですから、何も覚えていないのです。
それで、今回の特別弔慰金の件も、色々大変なのですが・・・

f:id:otonowa6668:20150806085123j:plain

そんな私の記憶には、とても仲の良かった友人のお母さんが、いつもはとても明るいのに、その話しの時には、とても怖い顔をして「誰にも言うたらいけんのよ」と言っていたことが、今も残っています。

 

それでも、戦後70年となり、被爆者の方の平均年齢も80,3歳となり、歴史を忘れないための取り組みは、毎年広がっています。

被爆した方たちも、辛い記憶を語る方が増えているようです。

友人のお母さんたちも、友人たちに語っているでしょうか・・・

 

辛い記憶をエンディングノートを書くということは、とても辛いかもしれません。

もし、どうしても記憶を書き出す事が辛い時は、無理をする必要はありません。

書きたくなる時まで、その部分は空けておいてください。

 

そんなことしたら、そこだけ空いてしまって、書かないままかもしれないじゃない!と言われるかもしれません。

それでも、強要することではありません。

 

エンディングノートの想い出の項目は、自分が書きたい事、伝えたい事を書いてほしのです。

あなたの残したい記憶はなんでしょうか?

後世に伝えたい記憶はなんでしょうか?

 

まずはエンディングノートを書き始め、書きながら考えてみませんか?

 

www.endingnotefk.net

 

 

売れっ子ハンドメイド作家になる本 決める事の大切さを知る

こんにちは。夢の実現のためのエンディングノート活用をサポートする、エンディングノートナビゲーター®の赤川なおみです。

 

昨日、今日とブログやFacebookで激アツなのがこちら。

売れっ子ハンドメイド作家になる本

売れっ子ハンドメイド作家になる本

 

 夢を夢で終らせない。

Amazon総合1位をめざし、多くの人に応援されながら、本日8月5日23時59分まで、Amazonキャンペーンを開催中です。

Amazonキャンペーンはこちら

 

このAmazonキャンペーン、やってる人や関係者は盛り上がるけど、だからなに?順位あげたいだけでしょ?そんな風に思う人もいらっしゃるかもしれませんね。

 

確かに、Amazonで売上をあげるために、購入を促すために、キャンペーンをする。

それって、著者の勝手な宣伝なんじゃないの?

応援していて、そう言われることもあります。

 

でも、本当にそれだけ?

ただ、売りたいだけ?

 

ただ売りたいだけだったら、まわりの人があんなに応援するでしょうか?
→熱烈に応援している様子はこちら

matome.naver.jp

ご自身の時間を費やして、本の紹介をブログに投稿し、同じ本を数冊購入する。

応援しているみなさんは、応援したからといってプレゼントが当たりやすくなるわけでもないし、お金をいただけるわけでもない。

みなさん、自分の意志で著者である、たかはしさんを応援しているのです。

 

それって、なぜでしょう?

 

本を執筆する、商業出版として出版するということは、文字通り寝食を削ってパソコンに向かい、文章を書くということ。

たかはしさんの場合は、雑貨店オーナーとしての仕事の他に、講師としても活動しておられ、「売れっ子ハンドメイド作家になる」という夢の実現を、日々サポートしておられます。

そして、たかはしさんは

原稿を書きながら、セミナー講師としての仕事も増やしていったのは
やはりみんなの悩みをダイレクトに汲み上げて
本の中に生かしたいと思ったからです。

 

と、ご自身のこれまでを振り返って書かれていました。

 

これを読んだ時、多くのハンドメイド作家さんたちが、我が事のように、今回のAmazonキャンペーンを応援される理由が、分かった気がしました。

みなさん、人ごとじゃないんです。

たかはしさんが、多くの「売れっ子ハンドメイド作家になりたい人」を応援しているように、多くの方が「Amazonで1位になる!」というたかはしさんを、応援しているんですよね。

 

よく「腹をくくる」と言いますが、まさに人生の中で「何かを決める」ということは、自分も周りの人も動かすことができる。

今回のように、自分のことだけでなく、周りの人を本気で応援する人は、周りの人のも本気で応援される。

 

あと2時間を切りました。

ぜひみなさんも、人を本気で応援してみませんか?

f:id:otonowa6668:20150805220930j:plain

takahashiaya.com

f:id:otonowa6668:20150615115011j:plain